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ユージン・スミスの愛機
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SR-1に1/1000秒が追加されたモデル。TTLメーターが省略されたSR-T101の普及機的存在だがデザインは抜群である。小型軽量なのもありがたい。装着レンズはロッコール21mmF4。ミラーアップが必要な対称型レンズ。これも描写能力が非常に高く感心させられる。
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ミノルタSR系ボディの使い手として、もっとも有名なのはユージン・スミスである。日本取材の折に愛用のライカを盗まれ、困っていたスミスのことを知ったミノルタは機材の無償貸与を行い、手厚く取材のためにサポートしたのであった。あの有名な『水俣』の作品の多くはSR系カメラで撮影されている。
当時のスミスの取材時のポートレートをみると最高で7台(!)ものSR系ボディを体からぶら下げていたりする。
これだけ台数が多いと千手観音でもなければ全部のカメラを操作するのは難しいであろう。最初はこれはミノルタの宣伝のためにわざとそうしているのかと思ったら、どうやらそのスタイルが自然らしいことが後にわかったが凄いことである。
もっとも刻々と状況が変化するような撮影現場では、レンズ交換の時間が惜しいから、このような撮影スタイルになったのだろう。それにしても、個々のカメラのフィルムの残数を覚えていられるものなのだろうか?常人のワザではないような気がするのだが、スミスくらいの天才になれば、ごく当り前のワザだったのだろうか。
「レンズの味」がどうのとかシャッター音がどうのとかいうことを重要視する私のような極悪な写真家と異なり、スミスはしごく真っ当なフォトジャーナリストであることは言うまでもないが、ひとつだけ興味を持ったエピソードがある。
『カメラ毎日』の記事だったと思うが、当時の助手であった写真家の森永純氏が、スミスが1枚の作品を完成させるのに、100枚の焼き直しはザラということを述べていたのを読んだ記憶がある。スミスは完全主義者であることを示しているエピソードだが、そのベースとなるための道具であるミノルタSRの性能が、ロッコールレンズの描写力が、スミスの信頼に耐えうるものでなかったならば、いくらミノルタが厚いサポート体制を引いたところで、スミスはミノルタを使うことはなかったのではないか。何せ、自分の主張を曲げないことで有名なスミスはライフの仕事をも断ってしまうような強情なタイプの写真家であったから、ダメなものはダメと言うに違いない。カメラの機能に対しては多くを求めることはなかったと思うが、スミスから文句をつけられることのなかったカメラを作っていた、ミノルタの技術的信頼度は高かったのである。
若き日に、ミノルタのSRを下げたスミスのポートレートを見た私はかなり興奮して、それからはミノルタのカメラに一目置くようになったことはたしかである。つまり、少なくとも熱心なカメラ少年に対しては、広告宣伝効果は大きかったのである。
SR系カメラは台数が多いために、いずれも価格がこなれているのはありがたい。程度を選ばなければ、晩酌代くらいで入手できる可能性もある。私も最初はほんのお遊びと思って手を出したのであるが、その魅力を知って、続々とSR系ファミリーが増殖してしまう結果となった。
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